
私(教室長)は、スピリチュアルなことに関心が深い、ちょっと変わった人間です。
人にはそれぞれ、産まれるときに抱いてきた人生の課題があるのだと思っています。
でも、ほとんどの人は成長の過程でそんなものがあることを忘れてしまいます。
大抵の人はそんな人生の課題なんて気にせずに、成長過程で身につけた価値観に従って生きているのですが、そのために本当にワクワクするよう目標を持つこともできずに、無難に他の人と同じような生き方をしていれば良いだろうと思っています。
でも、それでは、心底納得のできる人生など歩めるわけはありません。
私は子どもたちにそんな人生を歩んでほしくはないのです。
本当に、納得できて喜びを感じられる人生を送って欲しいのです。
そのためには、一人一人が自分がもって生まれてきた人生の課題に気づく必要があると思います。
表面的な心に響く言葉では上っ面だけ気分良くなれることはあるでしょう。
でも、ふじゅうぶんです。
魂に届く言葉で生徒に語りかけることで、生徒たちは自分の人生の課題に気づくことができるでしょう。
そして、その事に気づいた生徒が勇気をもって自分の人生の課題に取り組んでいけるように励ますことが、この塾の役割だと信じています。
子どもの体験は本当は小さいときから家庭で様々なことをさせてもらって、積み重ねていくものだと思います。
それは、決して、いろいろなお習い事をさせると言うことではありません。
日常生活の細々としたこと、家族で自然の中で過ごしてみたりすることなどでいいのです。
できるだけバリエーション豊かな体験をして、その体験の中で、疑問に思ったり、発見をしたり、感動をしたりをすることが大切です。
その体験に、知識が合わさると化学反応が起こります。
それが、心のそこから納得できたと言う理解です。
この理解はその人の消えることのない財産になります。
そして、理解をする体験は新しい理解を求めて新しい体験と知識を求めるでしょう。
そうやって人は成長し、洗練されていくのです。
塾の講師としての私は、基本的に知識を伝えることが役割になります。
それぞれのお子さんが、体験してきたことを思い出させながら、知識を結びつけていくことが仕事だと思っています。
ですから、塾での学びの時間以外にできるだけバリエーションの豊かな経験をお子さんにさせてあげてください。
スマホや、ゲーム機をとりあげて、自然に触れさせてください。
家のお手伝いをさせてください。
野外でのびのびと遊ばせてください。
それらの体験が、勉強の理解の元になります。
それでも、体験が足りず、知識が理解へと至りにくいこともあるでしょう。
それは、じっくりと対話を通して、想像力を使って体験の代わりをしてもらえるようにしていきます。
でも、五感を通してする実体験には及ばないのですが…
私はブログも書いています。(アメブロ「笑顔の集うところ」)
その中の記事を一つ、、、
↓
ある日のブログより
お久しぶりです。
滝行100日目の記事からほったらかしにしていました。
でも、その間も滝行は週2回のペースで続けていました。
現在160日を超えています。
でも、今年は週1回にペースを落として塾の仕事に力を入れようかなと思っています。
滝行に対して、今までのような執着がなくなってきました。
このままいけば、そのうち滝行も卒業でしょう。
年が明けて、生徒が二人辞めて他に移ると保護者から連絡がありました。
新年早々、学習塾存続の危機です。
さあどうしたものか。
でも、考えようによったら、空いた席に辞める生徒よりも教え甲斐のある生徒が入ってこれると言う事でもあります。
今回辞めようと言ってきた生徒は保護者のニーズと私が提供したい内容が元々ずれていましたし、本人たちも別にどこでもいいと言う感じだったので、しょうがないかなと感じています。
それより、去年一年間、塾を続けてくるためにいてくれたのだなと思うと感謝しかありません。
それぞれの出会いにそれぞれの意味があるのでしょう。
願わくば、彼らがこの一年間で私から何かを学んでいてくれればと思います。
そして、空いた席にこれから入ってくる生徒との出会いが最高のものとなりますようにと願うばかりです。
そんなことを考えていると、まなびの森の卒業生から電話がありました。
彼は中1の三学期から途中抜けていた時期はありますが、大学受験まで在籍してくれていたのですが、その間にいろいろありました。
高校を中退して、通信制高校に編入したり、高校卒業資格認定試験を受けたり、、、
それでも、短大に入って、卒業後には自分のしたい仕事のために専門学校でさらに学び、この春就職となりました。
その報告と今までのお礼と言って会いに来てくれました。
私はどちらかと言えばドライな性格なので、卒業後の生徒との交流はほとんどありません。
卒業生たちからどのように思われているのかもわかりません。
でも、たまに卒業後にふらっと来てくれる生徒もいるのですね。
そういうのは結構嬉しいものです。
特に来てくれる生徒と言うのは、それなりに自分の人生に納得の行っている子たちです。
そして、多少なりとも私との出会いが今の人生の支えになっていると感じてくれている子たちです。
だから、そう言う子たちが塾に顔を出してくれると、たとえその数が少なくても、自分のやってきたことが間違っていなかったんだなと思って救われる思いです。
この日やってきてくれた生徒も、中学高校で人生に迷走している間に、私の生き方に学ぶことがたくさんあったと言ってくれました。
勉強自体は正直言ってそれほど教えた覚えはありません。
別にそんな特別なことをする塾でもありませんから。
でも、私と過ごした時間の中で、私の生き方や価値観が、迷っている彼らがこれからどのように生きていけば良いのかの道しるべになっていたようです。
この生徒も、勉強はもちろんだけど、学歴とか学力よりも大切なものをここで教えてもらえたから、今の自分があると言ってくれました。
そして、「僕にとって、先生と言えば中村先生だけです。」なんて言葉を、恥ずかしげもなく言ってくれました。
本当にありがたい言葉です。
私自身は決して大した人間ではありません。
まっとうな生き方をしているわけでも、有能な人間であるわけでも、人より稼いでいるわけでもありません。
正直言って、世間の人の評価基準で言えば最低ラインの人間です。
でも、そんな人間が「先生と言えば、、、」なんて言ってもらえたのです。
ほんの少しでも人の手本になれるような生き方ができていたのかな?
そう思うと、今までしてきたことが報われたように思いました。
そして、これからも、今までと同じような生き方を子供たちには示していって、世間が良いとするような道からそれてしまった子供たちに、そこからでも人生は納得のできるものにしていくことができるのだよと伝えていければと思います。
多分、それがまなびの森が存在する理由なのでしょう。
だから、まじめでまっとうな努力ができる優等生はうちの塾とは縁がないのかもしれません。
そういう生徒にも来てほしいですけどね。
でも、そういう生徒よりも、自分の人生を諦めたくないと迷いもがいている子供たちにもっと来てほしい。
高い学力や良い学歴を望む親よりも、子どもが納得のいく人生を歩めるようにと願っている保護者にまなびの森のことを知ってほしいと思います。
企業塾やフランチャイズの塾、進学実績を重んじる塾では伝えることのできない、人生の在り方を私は子供たちに伝えていきたいと改めて思った日でした。
お久しぶりです。
滝行100日目の記事からほったらかしにしていました。
でも、その間も滝行は週2回のペースで続けていました。
現在160日を超えています。
でも、今年は週1回にペースを落として塾の仕事に力を入れようかなと思っています。
滝行に対して、今までのような執着がなくなってきました。
このままいけば、そのうち滝行も卒業でしょう。
年が明けて、生徒が二人辞めて他に移ると保護者から連絡がありました。
新年早々、学習塾存続の危機です。
さあどうしたものか。
でも、考えようによったら、空いた席に辞める生徒よりも教え甲斐のある生徒が入ってこれると言う事でもあります。
今回辞めようと言ってきた生徒は保護者のニーズと私が提供したい内容が元々ずれていましたし、本人たちも別にどこでもいいと言う感じだったので、しょうがないかなと感じています。
それより、去年一年間、塾を続けてくるためにいてくれたのだなと思うと感謝しかありません。
それぞれの出会いにそれぞれの意味があるのでしょう。
願わくば、彼らがこの一年間で私から何かを学んでいてくれればと思います。
そして、空いた席にこれから入ってくる生徒との出会いが最高のものとなりますようにと願うばかりです。
そんなことを考えていると、まなびの森の卒業生から電話がありました。
彼は中1の三学期から途中抜けていた時期はありますが、大学受験まで在籍してくれていたのですが、その間にいろいろありました。
高校を中退して、通信制高校に編入したり、高校卒業資格認定試験を受けたり、、、
それでも、短大に入って、卒業後には自分のしたい仕事のために専門学校でさらに学び、この春就職となりました。
その報告と今までのお礼と言って会いに来てくれました。
私はどちらかと言えばドライな性格なので、卒業後の生徒との交流はほとんどありません。
卒業生たちからどのように思われているのかもわかりません。
でも、たまに卒業後にふらっと来てくれる生徒もいるのですね。
そういうのは結構嬉しいものです。
特に来てくれる生徒と言うのは、それなりに自分の人生に納得の行っている子たちです。
そして、多少なりとも私との出会いが今の人生の支えになっていると感じてくれている子たちです。
だから、そう言う子たちが塾に顔を出してくれると、たとえその数が少なくても、自分のやってきたことが間違っていなかったんだなと思って救われる思いです。
この日やってきてくれた生徒も、中学高校で人生に迷走している間に、私の生き方に学ぶことがたくさんあったと言ってくれました。
勉強自体は正直言ってそれほど教えた覚えはありません。
別にそんな特別なことをする塾でもありませんから。
でも、私と過ごした時間の中で、私の生き方や価値観が、迷っている彼らがこれからどのように生きていけば良いのかの道しるべになっていたようです。
この生徒も、勉強はもちろんだけど、学歴とか学力よりも大切なものをここで教えてもらえたから、今の自分があると言ってくれました。
そして、「僕にとって、先生と言えば中村先生だけです。」なんて言葉を、恥ずかしげもなく言ってくれました。
本当にありがたい言葉です。
私自身は決して大した人間ではありません。
まっとうな生き方をしているわけでも、有能な人間であるわけでも、人より稼いでいるわけでもありません。
正直言って、世間の人の評価基準で言えば最低ラインの人間です。
でも、そんな人間が「先生と言えば、、、」なんて言ってもらえたのです。
ほんの少しでも人の手本になれるような生き方ができていたのかな?
そう思うと、今までしてきたことが報われたように思いました。
そして、これからも、今までと同じような生き方を子供たちには示していって、世間が良いとするような道からそれてしまった子供たちに、そこからでも人生は納得のできるものにしていくことができるのだよと伝えていければと思います。
多分、それがまなびの森が存在する理由なのでしょう。
だから、まじめでまっとうな努力ができる優等生はうちの塾とは縁がないのかもしれません。
そういう生徒にも来てほしいですけどね。
でも、そういう生徒よりも、自分の人生を諦めたくないと迷いもがいている子供たちにもっと来てほしい。
高い学力や良い学歴を望む親よりも、子どもが納得のいく人生を歩めるようにと願っている保護者にまなびの森のことを知ってほしいと思います。
企業塾やフランチャイズの塾、進学実績を重んじる塾では伝えることのできない、人生の在り方を私は子供たちに伝えていきたいと改めて思った日でした。
親子二代で通ってもらえる塾になりました
まなびの森が開校して18年。
ただの個別指導の学習塾です。
ここには特別な教育システムもありません。
進学のためのノウハウも特別にはありません。
ただ、生徒と向き合って一人一人に必要な言葉を投げかけてきただけです。
そんな特徴の無い塾ですが、気がつけば元生徒のお子さんも通うようになっていました。
元生徒さんはそこまで、まなびの森に入れ込んでくれているようにも思わなかったのですが、自分の子どもを預けようと思うと言うからには、それなりの思い入れと信頼を持ってくれていたのだと思います。
そう思うと本当にありがたいことです。
そういえば、どこの塾もそうかも知れませんが、まなびの森では兄弟での生徒割合が50パーセントを超えています。
それ以外は友人紹介がほとんどです。
宣伝を何もしていないので、当たり前のことと言えば当たり前なのですが、それだけでやってこれたのは,ご縁あってここに通ってくれた生徒と保護者の方のご理解とご支援のおかげです。
これからも、ご縁ある方々の期待に応えられるように生徒や保護者の方々と向き合って行きたいと思っています。
何しろこの塾には優秀な講師もいなければ、最新のコンピューター教材も、授業システムもありません。
ただ、生徒とじっくり向き合って、生の声を彼らに届けていくことだけが、この塾の持ち味ですから。
ただ、勉強ができるようになる塾では無く、どう生きていくかを考えられるようになる場でありたいと思っています。
ある本に紹介されていた詩です。
私はこれを読んで、こうありたいと強く願いました。
そして、今もそうあるようにと願い子どもたちを向き合っています。
↓
神様 もっとよい私にしてください。
子どもの言うことをよく聞いてやり、心の疑問に親切に答え、子どもをよく理解する私にしてください。
理由なく子どもの心を傷つけることのないようにお助けください。
子どもの失敗を笑ったり怒つたりせず、子どもの小さい間違いには目を閉じて、良いところを見させてください。
良いところを心からほめてやり、伸ばしてやることができますように。
大人の判断や習慣で子どもをしばることのないよう、子どもが自分で判断し自分で正しく行動していけるよう、導く智恵をお与えください。
感情的にしかるのではなく、正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望はできるかぎりかなえてやり、彼らのためにならないことはやめさせることができますように。
どうぞ意地悪な気持ちを取り去ってください。
不平を言わないように助けてください。
こちらが間違つた時にはきちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも穏やかな広い心をお与えください。
子どもといっしょに成長させてください。
子どもが心から私を尊敬し慕うことができるよう、子どもの愛と信頼にふさわしい者としてください。
子どもも私も神様に生かされ、愛されていることを知り、他の人々の祝福となることができますように。
(C.C.Mayer)